当社の歴史

100年の歴史

100年前の本場ドイツ製法のローストビーフ・コンビーフ・シャルキュトリーの本来のおいしさをお確かめください。

出会いは大正時代

時は、1914年(大正3年)。第一次世界大戦まで話は遡ります。
第一次世界大戦の最中、日本軍により中国青島は陥落し、その時、捕虜だったドイツ兵の多くは、習志野収容所に収容されました。 その中には、様々な職人や技師もおり、農商務省の要請を受けて、ドイツのソーセージ作りの秘伝も講習会を通じて、全国の食肉加工業者に伝わっていったようです。
他にも洋菓子やコンデンスミルクなど、収容所生活の中から、いろいろなドイツの文化が日本に広がるきっかけとなりました。 そして、開放された後も日本に残るドイツ兵もおり、ソーセージ職人のカール・ブッチングハウス氏もその一人で、東京・目黒にソーセージ工場を作りました。
先代の矢島八郎は、大正14年に、横浜の本牧で精肉業を始めました。 先代の精肉店は、カール・ブッチングハウス氏が経営する目黒のソーセージ工場にも豚肉を納めていました。
当時は、まだ日本人には馴染みが薄く、どちらかというと敬遠されがちだったハム・ソーセージを見た瞬間に、自分でもドイツ製法のハムづくりを始めようと思い立ったようです。

ついに! カール・ブッチングハウス氏直伝のドイツ製法を習得!!

八郎は“食に対する探究心”がとても強く、とりわけ『精肉をどのように加工して食べたらおいしいか?』と常日頃から考えていたようで、そこで見たハムやソーセージは八郎の心を激しく揺さぶったのでしょう。早速ハム造りを手がけようとしましたが、そこは“昔ながらの職人気質の世界”のこと。手取り足取り教えてもらうことは当然できませんでした。
ましてや、ソーセージ工場の職人でもない八郎にとっては、カール・ブッチングハウス氏の技術を習得するには、まさに“盗み見”するかのごとく、見よう見まねで試行錯誤を繰り返すしか方法がなかったようです。
しかし、そのような努力が実って、カール・ブッチングハウス氏から直接アドバイスをもらうようになり、その技術を直伝されるまでになりました。

ドイツ伝統製法100年継承3代

BUTTINGHAUS JIROを語る上で欠かすことのできない3人の人物をご紹介いたします。
【カール・ブッチングハウス】
ドイツのソーセージ職人
【矢島八郎】
【矢島二朗】
ドイツのソーセージ職人 カール・ブッチングハウス

ドイツのソーセージ職人 カール・ブッチングハウス

ドイツのソーセージ職人。習志野俘虜収容所を解放された後、東京・目黒にソーセージ工場を開業。千葉県小湊の日本女性と結婚ののち、神戸へ移り広く知られる。?~1944年没)

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